◆コーヒーと人間の出会いについて◆ いくつかの伝説があります。 そのうちでよく知られているのが、アビシニア(エチオピア)でカルディと言う男の話があります。 | |
◆アビシニア起源説◆ ある日カルディが山羊を放牧していたところ、山羊が何かの赤い実を食べて、興奮して跳んだり跳ねたりしているのを見ました。カルディもその実を食べてみたところ、甘酸っぱくとても爽快な気分になりました。 | |
カルディがその実を近くの修道院に知らせた事がきっかけで、コーヒーがこの世の知るところとなりました。 時代は6世紀とか9世紀とか言われています。 | |
◆もう一つのアラビア起源説◆ 13世紀頃、アラビアにシェーク・オマールという人がいました。 彼は当時の指導に背いた罪のために亡命中で、モカの山中に住んでいました。 ある日彼は小、鳥たちが赤い実をついばんでさえずっているのを見ました。その実を採って煮出して飲んでみると、疲れが取れて活力が戻って来るのを感じました。 | |
オマールはその実を採取して山を下りました。道中で病人に出会うと、その実を煎じて飲ませたことが町で評判になり、彼がモカの町に着く頃には聖者として崇められていました。 その赤い実というのがコーヒーの木の実だったのです。 通説では1258年の出来事であり、オマールはイスラム聖人シーク・スシャデリの弟子であったと言われています。 | |
◆モカ・コーヒーの由来◆ 15~16世紀頃からコーヒーの栽培は本格化しますが、そのほとんどはイスラム諸国向けでした。17世紀の初頭にはコ-ヒーはヨーロッパにも広まり、当時コーヒー輸出港であったイエメンの紅海に面した「モカ港」には、オランダ、イギリス、フランス等が次々にコーヒー商館を建て、モカ・コーヒー盛況時代の到来となります。 ヨーロッパの消費拡大に伴い、イエメン産のコーヒーだけではとうてい需要が追いつかず、対岸のエチオピアからイエメンにコーヒーを運び入れ、モカ港から輸出したのです。 エチオピア産のコーヒーも「モカ」と呼ばれているのは、モカ港から同じように輸出されていたためです。17世紀後半から18世紀になると、オランダやフランスがイエメンのコーヒーの木を自国の植民地に植樹して、それぞれの国で栽培が盛んになり、高価なモカ・コーヒーの需要は段々と減ってゆきました。19世紀後半になるとモカ港におけるコーヒー輸出量は激減しました。現在はモカの港からは輸出されていませんが、今でも「モカ」の名前は受け継がれています。 | |
◆コーヒー伝説の国イエメン産コーヒーについて◆ 首都サナアから西に50km、1時間のところ「モカマタリ」の原郷、バニーマタル。バニーは(雨)マタルは(部族)の住んでいる所地域を指します。 バニーマタル族はイエメン最大部族です。アラビア語のバニーマタルがマタリに変化し、つまりモカマタリの原語はモカ港から輸出されたバニーマタル産だったわけです。 この地区では、現在でも石畳の上に摘み取った実を並べて天日乾燥します。十分乾燥して黒色になったところで昔ながらの方法:石臼で脱穀します。 首都サナアにはバニーマタルをはじめ、ハイジやハイマ、ハラーズ地方の山岳地帯よりコーヒー豆が集まります。日本や欧米への輸出向けには、高級品としてこの地方のコーヒーを「サナニ」と呼んで取引きされています。 |
◆エチオピア産「モカ・アビシニア」について◆ モカ・アビシニアはエチオピアのゲディオ地区にあるコンガ村で丁寧に育てられた素晴らしいG1ナチュラル・モカコーヒーです。 真っ赤に熟したコーヒーチェリーは収穫されると、アフリカンベッドと呼ばれる伝統的な乾燥台で2週間もかけて毎日手作業で丹念に天日乾燥されます。 乾燥後、脱穀したものを入念にハンドピックします。その欠点豆の無い良質な豆は、繊細な香味を持っています。 【味の特徴】 ハーブを思わす華やかな香りと明るい酸があり後味に甘みをお楽しみいただけます。 |